水耕栽培装置 ため太郎シリーズ Q&A [A-09]

水耕栽培の歴史はいつ頃から始まったのですか?

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A-09 水耕栽培の歴史はいつ頃から始まったのですか?

■ 検証 その1

下記のサイトは、岐阜大学 園芸植物生産学研究室(福井博一教授)のHPです。内容は岐阜大学で実際に行われた講義の記録なので驚くほど高密度の情報量です。
水耕栽培の歴史」はこのページの「3.養液栽培 ⇒ 1).養液栽培の歴史と種類」を参照してください。
「福井教授の園芸生産工学」

<以下、原文より一部引用>
1).養液栽培の歴史と種類
歴史
研究的には19世紀半ばより行われており、最初の養液としてSacks液(1860年)が考案され、以来Knop液(1865年)等が有名である。実際に栽培として行われてきたのは第二次世界大戦中にアメリカが南方の土のない島々で野菜生産を行い、戦後日本で大規模な水耕施設を滋賀県大津市(10ha) と東京調布市(22ha)に設置し(昭和21年)、野菜の自給を始めた(図)(その原因は日本の農業が人糞を肥料としていたため不潔であるという事がきっかけとなった)。しかし、この結果日本の研究者がそのノウハウを修得し、その後の発展に大きな貢献をした。我が国の研究者が養液栽培の実用化を試みたのは昭和35年に園芸試験場でれき耕栽培を完成したのが最初であった。その後プラスチックの成型技術の進歩にともない昭和43年頃から多くのメーカーが養液栽培のシステムの開発、販売を始め、昭和50年後半からNFTが導入され、続いてロックウール(図)が取り入れられた。
<引用終わり・原文のまま>

■ 検証 その2

大津水耕農場

滋賀県大津市 (画像を含め 大津市歴史博物館 より引用)
大津水耕農場 <以下、原文より一部引用>
米軍キャンプの水耕農園

登録番号:3125
撮影年代:昭和30年代
撮影地区:唐崎
大見出し:軍事・警察
中見出し:軍事
小見出し:キャンプA・B地区
滋賀海軍航空隊跡地の約54ha(現唐崎二丁目付近)が、昭和21年(1946)7月、アメリカ占領軍(進駐軍)専用の野菜を栽培する水耕農園となった(昭和32年1月業務停止)。写真は水耕農園の北側上空から南を望んだ望んだ航空写真。
<引用終わり・原文のまま>

調布水耕農場

東京都調布市 (画像を含め 陸軍飛行第244戦隊 調布の空の勇士たち より引用)
調布水耕農場 <以下、原文より一部引用>
昭和32年当時の調布飛行場。左手の長方形部分が水耕農場。滑走路周囲に走る。
いくつものラインは飛行場本来の排水溝と道路、それに西武線からの引き込み線路。
昭和21年6月、調布飛行場西地区一帯に、水耕栽培の実用施設としては世界初となった調布水耕農場(米陸軍総合補給廠 糧食補給部第8002部隊)の建設が開始された。期を同じくして偵察飛行中隊は、整備工事が完了した入間川飛行場へ移駐し、調布飛行場は水耕農場の補助施設と化した。突貫工事の末、水耕農場は、同年12月には一部が稼働している。
調布水耕農場はその後も拡充を続けた。温室内での水耕栽培だけでなく、遊休化した旧飛行場の広大な用地を利用した土壌栽培も開始され、巣鴨拘置所に収監中の戦争犯罪人たちも農夫として多数が使役された。
その後、調布飛行場東地区には再び米陸軍飛行部隊が駐屯し、ヘリコプター、連絡機の基地として昭和35年まで使用された。
調布水耕農場は昭和36年、その役目を終えて閉鎖となり、跡地は「関東村」住宅施設として約12年間使用されている。
<引用終わり・原文のまま>

■ 検証 その3

また、17世紀には植物栽培において「土」と「水」の関係を観察した人物がいました。
■ヤン・ファン・ヘルモント(1579〜1644):学研キッズネット(学習百科事典+キッズネットサーチ) より引用

<以下、原文より一部引用>
ガスという言葉をつくったベルギーの化学者・植物生理学者。ブリュッセルの生まれ。哲学・神学のほか医学を学び、のち化学の研究を行った。金属を酸にとかしても、同じ重さの金属を回収できることを示し、物質が消滅しないことを説いた。また、空気と性質のちがう気体があることを知り、それをガスと名づけた。
植物生理学では、鉢植えのヤナギを、5年間水だけで育てた実験が有名。ヤナギの質量が増加したのに、鉢の土の質量がほとんどへっていないことから、水が木に変化したと考えた。結論はまちがっていたが、水の役割を知ったことは重要であった。
<引用終わり・原文のまま>

■ 検証 (番外)

水耕栽培の歴史について、一部の水耕栽培関連サイトでは次の一行のような記述がありますが、後述の理由により根拠は無いようです。
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■水耕栽培は「古代バビロニアの空中庭園」と呼ばれていたものにその原型を見る事が出来る
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<以下、伝奇の概略>
バビロンの空中庭園とは、セミラミスの架空庭園(懸垂庭園)とも呼ばれ、古代ギリシアの数学者・フィロンが選んだ「世界の七不思議」の建造物の一つの屋上庭園。名前からは、重力に逆らって空中に浮かぶ庭園が連想されるが、実際には高台に造られた庭園である。

現在のバグダード郊外にそれらしき遺跡が残る。紀元前600年頃に新バビロニアの王、ネブカドネザル2世が、メディア出身で砂漠の国に輿入れするのを嫌がった王妃アミュティスを慰めるためにバビロンに建造した。宮殿の中に作った高さ25m、5段の階段状になっているテラスに土を盛り、水を上まで汲み上げて下に流し、樹木や花などを植えた。あまりの大きさのため、遠くから見ると、あたかも空中に吊り下げられているように見えたという。一番上の面積が60平方メートルと推定される。紀元前538年のペルシアによる侵略の時に破壊された。
<伝奇の概略終わり>  出典元:バビロンの空中庭園 - Wikipedia

バビロンの空中庭園

[所感]
この伝奇の本質は、ポンプによる揚水技術の無い時代に、大量の「農業用灌漑用水」を、いかにして高い高度の土地にくみ上げたかという「不思議伝説」であり、実際に空中庭園で水耕栽培が行われていたという史実や考古学的根拠は無いようです。

余談ですが、ギリシャのアルキメデスによって「アルキメデス揚水ポンプ(アルキメデスの螺旋ポンプ)」が発明されたのは紀元前300年頃で、空中庭園の建設には間に合わなかったようです。このポンプの原理は現代でも「コンクリートミキサー車」や「水力発電所」で大いに活躍しています。

参考掲載 「アルキメデスの螺旋(らせん)ポンプ」
滋賀県立水環境科学館(現在は閉館)
水耕栽培 アルキメデスの螺旋(らせん)ポンプ

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